さよならテイオー。 [雑談・雑感・ひとりごと]
トウカイテイオーが永眠いたしました。
8月30日に急性心不全で・・・・・とは、あまりに急で。
まだ25歳なのか、もう25歳なのかはさておき、先月、3つ上のムテキや、1つ上のライアンと会ってきたばかりなので、まだまだ生きて欲しかったのが本音です。
ムテキが馬に興味をもつキッカケを作った馬ならば、テイオーはデビューを知る最初の大スターでした。
出走したG1総ての記念単勝馬券をいまだに持っている競走馬など、後にも先にもテイオーただ一頭です。
自分にとっては、それほど特別な競走馬でありました。
2007年に社台スタリオンステーションへ行った時の写真がありました。
この時は撮影から離れていた時期で、安物のコンデジで観光写真ばりのものしか撮っていませんでした。
そのため、お見せするのがお恥ずかしい限りのヒドい写真なんですが、結果的にこれが最後にテイオーと会った時となってしましました。
一番右の写真は左がディープインパクト、右がテイオーですね。
当時の社台SSの放牧地はこんな感じでした。
ディープとテイオーがメイン扱いかなあ、キンカメやらクロフネやらタキオンやら、今見ても豪華ラインナップですね。
トウカイテイオーの思い出の品はたくさんあるので、少し偲んでみると・・・・・。
トップイメージの写真は、このレープロから撮影しました。
1991年5月26日・京都のレープロです。
府中のものではないのが少々残念ですが、まぎれもなくテイオーがダービーを勝った日のものです。
正直、自分でもこんなものが残ってたとは驚きました、懐かしのA5サイズで実に22年前のものになります。
レープロ絡みでもう一つ。
こちらは1991年1月19日の京都レープロから。
テイオー3戦目の若駒ステークスのものです。
シンホリスキーにイイデサターンにミスタースペイン、相当懐かしいメンバーですが、その中でもナイスネイチャが極めつけですね。
ちなみにこのレース、ナイスネイチャは3着でした・・・そこはお約束ですから。(; ̄ー ̄)
もう1年チョット書いてないんですが、「一枚の馬券」という記事で、ずっとテイオーの事を書いてました。
サボった自分のせいなのですが、書き終わる前にテイオーが逝ってしまいました。
たしかダービーまで書いたんかな。
テイオーの競走生活前半、すなわち華やかな大スターとしてのクライマックスがダービーで、後半は挫折と復活のストーリーになるのは、皆さん御存知のとおり。
そしてラストの有馬記念で完結するわけですが、ずーっと用意していたこの馬券の写真を「一枚の馬券」より先に貼ることになるとは思いも寄りませんでした。
1993年12月26日 有馬記念(G1) 1着
トウカイテイオー
父 シンボリルドルフ
母 トウカイナチュラル
母の父 ナイスダンサー
通算12戦 9-0-0-3
主な勝ち鞍 : 皐月賞(G1)・東京優駿(G1)・ジャパンカップ(G1)・有馬記念(G1)
以前から判っていることですが、テイオーからは父系を繋いでゆく仔が出ていません。
ルドルフも事実上テイオーただ一頭の状態だったので、直系子孫はここで切れそうな状況です。
ブラッドスポーツでもある競馬の側面からみると、残念な現実でもあるのですが、それが「皇帝」と「帝王」をより特別な存在に押し上げる「一子相伝」的なファクターのような気もしています。
鹿毛に左前以外の三白で、額の大きな白斑から鼻先へ「シュっ」と細くのびる大流星が事の他美しく、自分にとっては、歴代3冠馬の上をいく大スターです。
sonodayaがあっちにいったら、またあの「グニュグニュ」の踏み込みを見せてくれることでしょう。
まあ、それまでしばしのお別れです。
馬好きを長くやってると、相応に特別な馬も増えてくるもんですが、
この馬は特別の中でも、とびっきり特別な馬でありました。
8月30日に急性心不全で・・・・・とは、あまりに急で。
まだ25歳なのか、もう25歳なのかはさておき、先月、3つ上のムテキや、1つ上のライアンと会ってきたばかりなので、まだまだ生きて欲しかったのが本音です。
ムテキが馬に興味をもつキッカケを作った馬ならば、テイオーはデビューを知る最初の大スターでした。
出走したG1総ての記念単勝馬券をいまだに持っている競走馬など、後にも先にもテイオーただ一頭です。
自分にとっては、それほど特別な競走馬でありました。
2007年に社台スタリオンステーションへ行った時の写真がありました。
この時は撮影から離れていた時期で、安物のコンデジで観光写真ばりのものしか撮っていませんでした。
そのため、お見せするのがお恥ずかしい限りのヒドい写真なんですが、結果的にこれが最後にテイオーと会った時となってしましました。
一番右の写真は左がディープインパクト、右がテイオーですね。
当時の社台SSの放牧地はこんな感じでした。
ディープとテイオーがメイン扱いかなあ、キンカメやらクロフネやらタキオンやら、今見ても豪華ラインナップですね。
トウカイテイオーの思い出の品はたくさんあるので、少し偲んでみると・・・・・。
トップイメージの写真は、このレープロから撮影しました。
1991年5月26日・京都のレープロです。
府中のものではないのが少々残念ですが、まぎれもなくテイオーがダービーを勝った日のものです。
正直、自分でもこんなものが残ってたとは驚きました、懐かしのA5サイズで実に22年前のものになります。
レープロ絡みでもう一つ。
こちらは1991年1月19日の京都レープロから。
テイオー3戦目の若駒ステークスのものです。
シンホリスキーにイイデサターンにミスタースペイン、相当懐かしいメンバーですが、その中でもナイスネイチャが極めつけですね。
ちなみにこのレース、ナイスネイチャは3着でした・・・そこはお約束ですから。(; ̄ー ̄)
もう1年チョット書いてないんですが、「一枚の馬券」という記事で、ずっとテイオーの事を書いてました。
サボった自分のせいなのですが、書き終わる前にテイオーが逝ってしまいました。
たしかダービーまで書いたんかな。
テイオーの競走生活前半、すなわち華やかな大スターとしてのクライマックスがダービーで、後半は挫折と復活のストーリーになるのは、皆さん御存知のとおり。
そしてラストの有馬記念で完結するわけですが、ずーっと用意していたこの馬券の写真を「一枚の馬券」より先に貼ることになるとは思いも寄りませんでした。
1993年12月26日 有馬記念(G1) 1着
トウカイテイオー
父 シンボリルドルフ
母 トウカイナチュラル
母の父 ナイスダンサー
通算12戦 9-0-0-3
主な勝ち鞍 : 皐月賞(G1)・東京優駿(G1)・ジャパンカップ(G1)・有馬記念(G1)
以前から判っていることですが、テイオーからは父系を繋いでゆく仔が出ていません。
ルドルフも事実上テイオーただ一頭の状態だったので、直系子孫はここで切れそうな状況です。
ブラッドスポーツでもある競馬の側面からみると、残念な現実でもあるのですが、それが「皇帝」と「帝王」をより特別な存在に押し上げる「一子相伝」的なファクターのような気もしています。
鹿毛に左前以外の三白で、額の大きな白斑から鼻先へ「シュっ」と細くのびる大流星が事の他美しく、自分にとっては、歴代3冠馬の上をいく大スターです。
sonodayaがあっちにいったら、またあの「グニュグニュ」の踏み込みを見せてくれることでしょう。
まあ、それまでしばしのお別れです。
馬好きを長くやってると、相応に特別な馬も増えてくるもんですが、
この馬は特別の中でも、とびっきり特別な馬でありました。
ありがとう、テイオー。 by sonodaya
2013-08-31 22:00
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コメント(9)
昨日、いつものように出勤した早朝のコンビニで、お客さんがレジに持ってきた新聞の見出しに「テイオー急死」の文字があり知りました。
お会計が終わって新聞コーナーへ急行、サンスポの裏面に踊るテイオーの死去を知らせる文面に、思わず泣いてしまいました。
25歳ですか・・・・・・早すぎます。
安田先生も「いつか別れが来ると思っていたけれど」とおっしゃっていますが、ファンとしては、それがいつだとしても耳にしたくないニュースであり、悲しい出来事ですね。
私も、テイオーには数々の思い出があります。
ビゼンニシキ派の私には、ルドルフの子らしい完璧なテイオーは悔しく眩しい存在でしたが、不思議と観る者全てを虜にする魅力の持ち主でしたね。
何よりもあの幸せそうな歩様が大好きでした。
書けば長くなりますので、心の中に留めて置きますが、この場をお借りしてテイオーのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
sonodayaさんの思い入れがじんじん伝わる、涙なくしては読めない記事と貴重なお写真でした。
by COBRIDER (2013-09-01 22:06)
写真とエピソードだけでしか知らないトウカイテイオーですが
sonodayaさんにとって、どれだけこの馬が特別な存在であったかが実にたっぷりと伝わって来る写真と文章でした。
特に、「2007年、社台SS放牧地の図」 を眺めているうち、ジワリと熱いものが・・・・。
改めて、「一期一会」 という言葉を感じさせられました。
新聞の扱いもすごかったですね。
ふだん全く競馬をしない人も、「すごい馬が死んだんだってね」 とビックリされていたようです。
>「グニュグニュ」の踏み込み
私にはフレーズの意味が分からないので、これから調べてみたいと思います。
最後になりましたが、トウカイテイオーの御冥福をお祈りいたします。
by ルン (2013-09-02 09:49)
> COBRIDERさま
いつもありがとうございます。
ひと言で言うなら「カッコイイ」それに尽きる名馬だったと思います。
それも「完璧なまでのかっこよさ」でしょうか。
もうこんな馬に出会う事はないだろうと思っています。
テイオーは、みなさんにとっても大スターなのに、我一人テイオーを思うかのような高言、お許しくださいませ。
by sonodaya (2013-09-03 11:52)
> ルンさま
いつもありがとうございます。
あ、「グニュグニュ」ってのは、あくまで私の主観なので検索してヒットするかどうか疑問です・・・すみません。
それぐらい柔らかい踏み込みで有名でした。
後にも先にも、あんな踏み込みを見ることはないだろうなと思っております。
パドックでの動画等で見ることがでるかも知れませんので、ぜひ見てください。
by sonodaya (2013-09-03 12:17)
そうそう、テイオーのグニュグニュ、業界用語では「ハンカイが良い」と言いますね。
でも本当にsonodayaさんのグニュグニュという表現がぴったりです。
私も、後にも先にもテイオーのようなハンカイを見せる馬に出会ったことがありません。
あのつなぎの柔らかさ、素晴らしいですよね。
アングロアラブですが、私の大好きだったキタノフラットという馬も、これまた凄い"グニュグニュ"なパドックでした。
どうしてもその写真を撮りたくてパドックかじりついて撮りまくりましたが、やっぱり写真じゃ表現に限りがありますね~
今度私のブログにアップできたらしますです。
sonodayaさんにも、キタノフラットが居た頃に園田デビューしていていただきたかったな~、きっと惚れましたよ。
by COBRIDER (2013-09-03 13:25)
> COBRIDERさま
そうですか、「ハンカイ」と言うんですね。
それは知りませんでした、ありがとうございます。
で、少しキタノフラットを調べていて気付いたんですが、その頃はまだコース改修前ですね。
ダ1300とかダ1630とか、思わず「なんじゃこれ」と思いました。
こんな距離体系だったんですね。
新鮮でした、ありがとうございます。
by sonodaya (2013-09-05 00:00)
ハンカイは、ケイハという言い方をする評論家も居ます。
JRAの用語辞典いますが、異常歩様や病気を指すこともあり、私はあまり使いたくない言葉です。
牧場の親戚や、育成場の知人、あと身近な所ですとスポニチの井上さんが"ハンカイ"という言葉を使っていますね^^
フラットの時代の距離体系、確かに今からすると「なんじゃこりゃ」かもしれません。
1630m、確かに中途半端な距離ですもんね^^;
なんかエライ懐かしいです♪
by COBRIDER (2013-09-05 10:54)
すみません、↑「JRAの用語辞典にも出ていますが」ですm(_ _)m
by COBRIDER (2013-09-05 10:55)
> COBRIDERさん
確かに1630mは中途半端な気がしますが、今の1230mや1870mもたいがい中途半端ですもんね。(笑)
慣れの問題かもしれません。
その頃の園田、見たかったですね。
気付くのが遅すぎました。
by sonodaya (2013-09-05 22:37)