12年前の新聞 [雑談・雑感・ひとりごと]
年末が近いから・・・という訳ではないんですが。
ついこの間まで押入れを片付けたりしてました。
今のところに越してきて20年足らずなんですが、その頃とは生活スタイルも一変しておりまして、20年前には思いもしなかった毎日を過ごしています。
どこのお家も似たようなもんやと思うんですが、押入れの中には引っ越してきた時のダンボールがそのままやったりするんですよね。
事実上不要なものがほとんどなので、今の生活スタイルに合せて整理したというところです。
で、そんなダンボールの中から出てきたのは・・・
2003年5月28日のスポーツ紙。
(ちなみになぜか日刊スポーツ)
なぜこの新聞が引越し荷物のダンボールの中に入っているのかは、今となっては全くわからないのですが、ダービー(もちろん東京優駿ね)なので新聞を買ったのは間違いないようです。
クリックして拡大表示してもらえると判るんですが、ネオユニヴァースの名前が見えます。
この年はM・デムーロ騎手がネオユニヴァースで2冠を制した年なんですね。まさか12年後にはミルコがJRAジョッキーになっているとは思いもしませんでしたが・・・・・。
干支がひと回りして、今年もドゥラメンテで2冠。なにか符節を合わせたみたいです。
この頃は私もJRA一本の人でした。
でも、今の私的にはここじゃないんですよね。
と思うと、凄く気になって、載ってるハズと思い開いてみました。
すると・・・
ありました、園田の紙面。
で、その紙面を飾るのはロードバクシン。
このブログをご覧の皆さんの中にはロードバクシンをナマでご覧になった方もたくさんいらっしゃると思うのですが、園田歴の短い私としては、サラブレッド導入当初の三冠馬、地元のスーパースターという話の中で聞くだけのある意味伝説に近い馬です。
レースは今の園田FCスプリントの前身、フレンドリーカップですが、これが第1回やったんですね。
少し見難いですが、大外枠にエイシンコービンという馬名が見えます。鞍上は川原J。
この頃は、まだ兵庫に移籍する前で、笠松の馬で遠征しての園田参戦です。
出馬表の下には、ロードバクシン&小牧太Jの写真。
その左の写真は、勝負服を見るとすぐにわかりますよね、岩田Jです。
馬はタッチダウンパスという馬ですが、こちらは私にはサッパリです・・・・・
(父ワッスルタッチってのも今となっては、なんかスゴイなー)
ちなみに右下に少しだけ見えるのは、名古屋からの遠征馬・キウィダンスで鞍上は安藤光彰J。
こちらもJRAに移籍される前ですね。
ちなみにこのフレンドリーカップを勝ったのはキウィダンス。
翌年のフレンドリーカップも勝利し、フレンドリーカップ連覇となります。
ロードバクシンは1人気に推されたものの7着でした。
さて、新聞には当時の園田のリーディングも載っていました。
1位は151勝で小牧太J、2位に133勝で岩田J、3位は59勝で赤木J、後にJRAに移籍する3人がトップスリーです。
4位は36勝で永島太郎J、5位には平松J(現調教師)の名前が見えますね。
今の御三家はと言うと・・・田中学Jが34勝で6位、木村健Jが28勝で8位、前述のように川原さんはまだ笠松所属で、この2年後に兵庫に移籍する事を発表されます。
あと目に付くところでは・・・10位に松浦政Jの名前が見えます。一度辞められる前ですね。21位に下原J、27位には吉村Jの名前が見えますが年齢18て・・・^^;;;
こういう新聞見ると、このころから行っといたら良かったなぁとつくづく思います。
まあ、当時は会社勤めしていましたので、平日開催はどうしたってムリやったんですけどね。
園田も、自分も、12年前には思いもしなかった今を過ごしています。
人生そんなもんですね、だから楽しいと思えるようになりたいもんです。
いやはや、思いがけないところで楽しませてもらいました。
皆さんは12年前何をしていましたか?
いや、競馬ファンには、こう聞かないといけませんね。
皆さんはネオユニヴァースがダービー勝った年、何をしていましたか? ^^
ついこの間まで押入れを片付けたりしてました。
今のところに越してきて20年足らずなんですが、その頃とは生活スタイルも一変しておりまして、20年前には思いもしなかった毎日を過ごしています。
どこのお家も似たようなもんやと思うんですが、押入れの中には引っ越してきた時のダンボールがそのままやったりするんですよね。
事実上不要なものがほとんどなので、今の生活スタイルに合せて整理したというところです。
で、そんなダンボールの中から出てきたのは・・・
2003年5月28日のスポーツ紙。
(ちなみになぜか日刊スポーツ)
なぜこの新聞が引越し荷物のダンボールの中に入っているのかは、今となっては全くわからないのですが、ダービー(もちろん東京優駿ね)なので新聞を買ったのは間違いないようです。
クリックして拡大表示してもらえると判るんですが、ネオユニヴァースの名前が見えます。
この年はM・デムーロ騎手がネオユニヴァースで2冠を制した年なんですね。まさか12年後にはミルコがJRAジョッキーになっているとは思いもしませんでしたが・・・・・。
干支がひと回りして、今年もドゥラメンテで2冠。なにか符節を合わせたみたいです。
この頃は私もJRA一本の人でした。
でも、今の私的にはここじゃないんですよね。
と思うと、凄く気になって、載ってるハズと思い開いてみました。
すると・・・
ありました、園田の紙面。
で、その紙面を飾るのはロードバクシン。
このブログをご覧の皆さんの中にはロードバクシンをナマでご覧になった方もたくさんいらっしゃると思うのですが、園田歴の短い私としては、サラブレッド導入当初の三冠馬、地元のスーパースターという話の中で聞くだけのある意味伝説に近い馬です。
レースは今の園田FCスプリントの前身、フレンドリーカップですが、これが第1回やったんですね。
少し見難いですが、大外枠にエイシンコービンという馬名が見えます。鞍上は川原J。
この頃は、まだ兵庫に移籍する前で、笠松の馬で遠征しての園田参戦です。
出馬表の下には、ロードバクシン&小牧太Jの写真。
その左の写真は、勝負服を見るとすぐにわかりますよね、岩田Jです。
馬はタッチダウンパスという馬ですが、こちらは私にはサッパリです・・・・・
(父ワッスルタッチってのも今となっては、なんかスゴイなー)
ちなみに右下に少しだけ見えるのは、名古屋からの遠征馬・キウィダンスで鞍上は安藤光彰J。
こちらもJRAに移籍される前ですね。
ちなみにこのフレンドリーカップを勝ったのはキウィダンス。
翌年のフレンドリーカップも勝利し、フレンドリーカップ連覇となります。
ロードバクシンは1人気に推されたものの7着でした。
さて、新聞には当時の園田のリーディングも載っていました。
1位は151勝で小牧太J、2位に133勝で岩田J、3位は59勝で赤木J、後にJRAに移籍する3人がトップスリーです。
4位は36勝で永島太郎J、5位には平松J(現調教師)の名前が見えますね。
今の御三家はと言うと・・・田中学Jが34勝で6位、木村健Jが28勝で8位、前述のように川原さんはまだ笠松所属で、この2年後に兵庫に移籍する事を発表されます。
あと目に付くところでは・・・10位に松浦政Jの名前が見えます。一度辞められる前ですね。21位に下原J、27位には吉村Jの名前が見えますが年齢18て・・・^^;;;
こういう新聞見ると、このころから行っといたら良かったなぁとつくづく思います。
まあ、当時は会社勤めしていましたので、平日開催はどうしたってムリやったんですけどね。
園田も、自分も、12年前には思いもしなかった今を過ごしています。
人生そんなもんですね、だから楽しいと思えるようになりたいもんです。
いやはや、思いがけないところで楽しませてもらいました。
皆さんは12年前何をしていましたか?
いや、競馬ファンには、こう聞かないといけませんね。
皆さんはネオユニヴァースがダービー勝った年、何をしていましたか? ^^
2015-12-09 22:31
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