SSブログ

追悼・レッツゴーターキン [JRA]

レッツゴーターキンが亡くなったそうですね。


ここんとこサボりぎみなsonodayaです。

相変わらず熱等はまったくないものの、鼻がズルズルで「もしかして・・・アレ」と不安になっておる毎日です。
sonodayaは「アレ」は持ってないはずなんですけどねー。
ま、「アレ」より風邪の方がマシなので、風邪であることを願ったりしてる次第。

今年は飛散が多いらしいからな・・・・・ある日、突然くるって言うし。


そんなこんなで注意力散漫ながら、見過ごせない訃報がありました。
昨日、1992年の天皇賞(秋)優勝馬・レッツゴーターキンが亡くなったそうです。
死因は病気だそうで・・・・・

レッツゴーターキン
 父 ターゴワイス
 母 ダイナターキン
 母の父 ノーザンテースト

栗東・橋口弘次郎厩舎所属 社台ファーム生産
通算33戦 7-5-2-19
主な勝鞍:天皇賞(秋)・G1、中京記念・G3、小倉大賞典・G3

ターゴワイスの代表産駒は海外供用時代はハーフアイストの勝ったジャパンカップで2着だったオールアロング(凱旋門賞馬)かもしれませんが、日本で供用されるようになってからの唯一無二の代表産駒が天皇賞馬レッツゴーターキンでした。

トウカイテイオー大好きだった(今でも好きですが。)sonodayaの夢を打ち砕いた、レッツゴーターキンの末脚・・・・・
2着が豊のムービースターで、3着が河内のヤマニングローバル・・・・・
この2・3着2頭は買えても11人気だったレッツゴーターキンは買えんかったですね。

この天皇賞の時の鞍上が大崎昭一騎手。
いやいや、渋くもあり、懐かしくもあり・・・・・仕事人タイプのジョッキーでしたなあ。
美浦のジョッキーでありながら乗り馬に恵まれず、腕を見込まれて晩年はほとんど関西で騎乗しておられたように思います。

ダンスインザダークやツルマルボーイ・ザッツザプレンティ・ハーツクライ・スリープレスナイト・・・・・
最近ではローズキングダムなど数々の名馬を育て「薔薇一族」のメインステイブルでもある橋口調教師にとってもレッツゴーターキンでのこの天皇賞が初めてのG1やったんですね。

この天皇賞の出走メンバー見て思い出を紐解くと、テイオーとダイタクヘリオスが人気やったんですよね。
それぞれの父がルドルフとビゼンニシキな事もあって親子2代に渡るライバル物語で盛り上がってました。

で、メジロパーマーとダイタクヘリオスが作るハイラップを好位で追走したテイオーが一旦抜け出すも、ハイラップが祟ってタレたところを並ぶ間もなく差しきったんが上記1・2・3着馬。
ちなみに2人気で4着に敗れたのがナイスネイチャで、この時は指定席の3着ではなく4着やったんすね。(笑)

このレースで負けたから、次走のジャパンカップでのテイオー復活劇がよりドラマチックになった気がせんでもないですが・・・・・おっと、今日の主役はターキンでした。



天皇賞の他にはG3とOP特別を2勝づつ、種牡馬としても重賞に勝つ仔をだすことができず、この成績だけ見れば記憶の彼方へ忘れ去られてしまいそうなレッツゴーターキンですが、あの日府中で見せた500mを一閃した末脚だけで競馬ファンの脳裡にその姿を焼き付けたように思います。

また一頭、個性派が旅立ちました。


合掌。

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。