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競走馬の肖像・17 「スゴイ」 [Horse Photo]

母・ローズサッシュの名前を聞いてピンときたあなた、その思い出に弾丸シュートです。(笑)

JRA_Poster_SoccerBoy.jpg

いつもながら「肖像」は長文注意となっております。


この馬も競馬を覚えたばかりのsonodayaに強烈なイメージを残した馬です。

サッカーボーイ
 父 ディクタス
 母 ダイナサッシュ
 母の父 ノーザンテースト

通算成績 11戦 6-0-2-3
主な勝鞍 : マイルチャンピオンシップ(G1)・阪神3歳S(G1)・函館記念(G3)・中日スポーツ賞4歳S(G3)
1987年度 JRA最優秀3歳牡馬 1988年 JRA最優秀スプリンター
(レース名称及びグレード、またJRA賞各賞名称は当時のまま表記)

sonodayaが以前の会社にいた頃の後輩が主戦の河内洋騎手とサッカーボーイの熱狂的なファンだったのを懐かしく思い出します。

サッカーボーイは1985年に社台ファームで生まれ、1987年8月の函館でデビュー。
のちに東京新聞杯や京成杯に勝つトウショウマリオ相手に9馬身のブッチぎりで楽勝、次走の函館3歳Sは出遅れてディクターランドの4着に敗れるも、京都のOP特別を勝ち西の3歳チャンプ決定戦・阪神3歳ステークスに駒を進めます。
単勝1.9倍の圧倒的1人気に推されたサッカーボーイは、ここでも人気に応えて2着ダイタクロンシャンに8馬身差の圧勝劇で3歳チャンプの栄冠を獲得。
鞍上の内山正博騎手に生涯唯一のG1をプレゼントしました。
後にサッカーボーイの主戦騎手となる河内騎手は、この時7着で騎乗馬はメジロワースでした。

余談ですが、当時は改修前の旧阪神競馬場。
マイルコースは大外が著しく不利と言われていたコースです。
スタートは1角のポケットで現在は競馬場施設区域内になっており、幾多の名勝負をを演出してきた舞台を記念して碑が建っています。

OldMileCourseStart01.jpgOldMileCourseStart02.jpg
写真は改修直後のバックヤードツアーにて撮影したもの

たぶん今でもバックヤードツアーに参加したら見に行けると思いますので、興味のある方はぜひ見てきてくださいね。

閑話休題・・・・・


さてさて、4歳になったサッカーボーイは皐月賞の前哨戦として弥生賞に出走しますが、東の3歳王者サクラチヨノオーの3着に敗れ、さらに持病の裂蹄を悪化させたうえ、坐石から飛節炎を患い皐月賞は回避します。
この時の皐月賞は府中でおこなわれヤエノムテキが勝利しますが、まともな状態でサッカーボーイが出走していたらどういう結果になったのかはわかりませんね。
思うにヤエノムテキに運があったというより、舞台が府中2000mであったり、サッカーボーイの回避などムテキが勝つ運命だったんように思います。(ムテキ贔屓・・・www)

サッカーボーイは2ヶ月の休養の後、5月のNHK杯(当時は2000mのG2)で鞍上を河内洋に強化し復帰するも4着。
さらに本番ダービーではサクラチヨノオーの15着に敗れます。
噂によると飛節炎の治療に使用した抗生物質の影響で本調子ではなかったという話もありました。

夏を迎えて徐々に調子を戻してきたサッカーボーイは中スポ賞4歳Sに出走。(当時は中京の1800m戦)
ここでサッカーボーイに本領発揮され我が愛しのムテキは1人気にもかかわらずサッカーボーイの2着に敗れました・・・・・
当時まだ競馬場に行ったこともなく、スポーツ新聞で競馬を覚え始めていたところだったsonodayaは思いました・・・・・

皐月賞馬がG3で負けたらアカンやろ・・・・・と。(笑)
ま、ヤエノムテキの名誉のために申し添えると、このときムテキは58kg、サッカーボーイは56kgで半馬身差でした。(ムテキ贔屓・その2・・・www)

好調に戻ったサッカーボーイは次走でデビューの地・函館で函館記念に出走。
前年のダービー馬・メリーナイス(2着)、3年前のダービー馬・シリウスシンボリ(4着)、さらに前年の牝馬2冠・マックスビューティ(6着)相手に5馬身差、さらには2000mの日本レコードとなる1分57秒8で駆け抜け、秋の大舞台に向かいます。
このレースが生涯最高のパフォーマンスでしたね。

菊花賞か天皇賞か取りざたされましたが、結局捻挫でどちらも回避。
春同様に秋も本番で運がなく、ファンをヤキモキさせる結果になりました。

ちなみにこの年の天皇賞(秋)はオグリキャップを撃破したタマモクロスが春秋連覇を成し、菊花賞ではスーパークリークが若武者・武豊に初のG1を送りました。

またしても大舞台に立てなかったサッカーボーイはマイルチャンピオンシップで復帰。
ここでホクトヘリオス(2着)を筆頭にシンウィンド・フレッシュボイスなどを相手に4馬身差の圧勝を演じ3歳G1以来待望の古馬G1を制します。
冒頭のサラブレッドヒーロー列伝の写真はこのマイルCSでのものですね。

この後、サッカーボーイは有馬記念に向かいます。
この年の有馬記念にはオグリキャップが出走しており、両馬とも主戦は河内洋騎手。
sonodaya的にはオグリに乗るんじゃないの?と思っていましたが、河内騎手の選択はサッカーボーイ。
よくよく考えたらサッカーボーイは生産も馬主も社台・・・・・それが理由かは定かではないですが今思えばそらサッカーボーイ選びますよね。
当時、sonodayaがいかに青かったかを物語るエピソードであります。(恥)

その有馬記念では4着入線もスーパークリークの失格で3着に。
結果的にこの有馬記念が最後のレースとなってしまいました。

翌年は春を骨折で棒に振り、秋の復帰戦に考えられていた毎日王冠の前に再び脚部不安を発症し現役引退。
結局、古馬になってから一度も走ることはありませんでした。

完成したサッカーボーイを見たかったですね。

種牡馬になってからもヒシミラクル・ティコティコタックなどがでて大成功。
自身のような切れ味鋭いマイラーを出すことはありませんでしたが、血統的には長距離血統なのでむしろサッカーボーイが鬼っ仔だったようです。

sonodaya的にサッカーボーイ産駒といえばナリタトップロードでしょうか。
同期にテイエムオペラオーがいて少々地味ですが大のお気に入りでした。



さて、こんな調べりゃわかる長い前フリはここまでにして「スゴイ」の紹介に参りましょう。

101111_Portrait_Sugoi.jpg
スゴイ 父ゼンノロブロイ 母ローズサッシュ 母の父ドクターデヴィアス

3代母がダイナサッシュで2代母ゴールデンサッシュはサッカーボーイの全妹。
母ローズサッシュのひとつ上の異父兄がステイゴールド(父サンデーサイレンス)。
またローズサッシュの異父妹グレースランドの仔にドリームパスポート、グレースランドの三つ下の妹がレクレドールと多数活躍馬を排出する名牝系となっています。

スゴイは今年1月の京都開催で年明けデビューを向かえ7着。
以降6戦を15・6・5・5・5・12着で兵庫へ転厩。
9月29日の園田初戦のC2を快勝し初勝利。
2戦連続で2着のあと、先日のC1戦で勝利し2勝目をあげました。


この一族最大の活躍馬であるサッカーボーイは圧倒的パフォーマンスで3歳王者に輝きながら、最大目標の春のクラシックでは無念の連続・・・・・。
夏に復活したものの秋は再び無念かと思いきやマイルCSを圧勝してなんとか勲章獲得。
波乱万丈の競走生活を送りましたが、このあたりに熱狂的なファンの多いサッカーボーイの魅力がありそうですね。

スゴイは中央時代は堅実に掲示板の下を確保したり、園田へきても堅実に2着をキープするなど、サッカーボーイとは正反対の安定した優等生的成績ですが、その名のようにサッカーボーイファンをも納得させるようなスゴイ馬に育って欲しいものですね。


いやいやー、やっぱりあの頃の馬の話題になると長くなってしまいますね。
年齢のせいか、時代なのかはわからないですが、虚々実々織り交ぜて競馬人気が売り上げとともに頂点だった時代でした。

肖像を書いていると、その頃に競馬を始めることができた我々と同世代の方は幸せやったんかなと思う今日この頃であります。

今回は(も?)本当に長文でした。
ここまで読まれた方、お疲れになったでしょ?

おっさんの回顧にお付き合いいただき、いつもいつもありがとうございます。
これにメゲずに今後ともお付き合いくださいませ。(笑)

m(_ _)m by sonodaya


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